
2018.10.06
おまいりと共にある郷土の料理 第3回
おまいりと共にある郷土の料理 第3回
●大勢で食卓を囲んだ思い出
曾祖父母がまだ元気だった頃、法事や自宅での報恩講を執り行った記憶は無いのですが、
昭和57年まで毎年6月1日の山王祭りの日に、親戚一同を招いていた事は記憶しています。
座敷に御膳を並べて、お昼には女性と子供達、夜は仕事帰りの男性陣、昼の部、夜の部で、
ご馳走を振る舞っていたのをよく覚えています。
ちなみに祭りの日は「鯛の塩焼き」です。半身を塩焼きで食べて、
裏の半身は、ほぐして素麺と一緒に食べる「鯛素麺」で〆るのが我が家の祭りのご馳走です。
(画像は6月1日 山王さんのお祭りの日の夕食。母が作ってくれた煮物、
魚屋さんで焼いてもらった鯛、だし巻き玉子、〆用の素麺。)
もう一つ自分に残っている記憶で、昭和58年には木本の祖母の母が亡くなった際、
通夜の後に親戚一同が揃って直会の席に着いた事を覚えています。
親戚の女性陣が10名くらいは台所に入って料理の準備、座敷に御膳を並べて男性陣が席に付き、
女性や子供たちは座卓とかに集まっていたと思います。
これはその時の献立表です。
仕出し屋さんに頼んだりせず、全て自宅で用意されていました。今となっては考えられない事でしょう。
私の家は昭和62年(曾祖母)、63年(曾祖父)、平成元年(祖父)と立て続けに葬儀を出しました。
その時に、「この献立を参考にしてね。」と母が頂いたのですが、とても助かったようです。
この頃まで、親戚の人が沢山お手伝いに来て下さっていたのを覚えていますが、
その後の親戚での葬儀などは、葬儀ホールを利用する方へ変わっていってしまったので、
台所の手伝いをするとか、手作りの料理で直会をする、という事が無くなりました。
ひいおばあさんの通夜に参列した事は覚えていないけども、
親戚のおばちゃん達が慌ただしく準備していた事、大勢の親戚と一緒に食事をしたことは
30年経っても今でも懐かしい思い出で、とても大切な事であったと思います。
(余談。記憶が少し曖昧ですが、62年、63年に葬儀があった後、
初七日か二七日が過ぎるまで、自宅での食事は精進料理だったと記憶。
当時12~13歳だったので、とても辛く、一人でこっそりハンバーガー
を食べに行った思い出があります。祖父は一人、四十九日が終わるまで
肉、魚、卵を食べなかったと思います。そんな祖父を特異な目で見ていいました。)