おまいりと共にある郷土の料理 第3回

おまいりと共にある郷土の料理 第3回

 

 

●大勢で食卓を囲んだ思い出

曾祖父母がまだ元気だった頃、法事や自宅での報恩講を執り行った記憶は無いのですが、

昭和57年まで毎年6月1日の山王祭りの日に、親戚一同を招いていた事は記憶しています。

座敷に御膳を並べて、お昼には女性と子供達、夜は仕事帰りの男性陣、昼の部、夜の部で、

ご馳走を振る舞っていたのをよく覚えています。

ちなみに祭りの日は「鯛の塩焼き」です。半身を塩焼きで食べて、

裏の半身は、ほぐして素麺と一緒に食べる「鯛素麺」で〆るのが我が家の祭りのご馳走です。

(画像は6月1日 山王さんのお祭りの日の夕食。母が作ってくれた煮物、

魚屋さんで焼いてもらった鯛、だし巻き玉子、〆用の素麺。)

 

 

もう一つ自分に残っている記憶で、昭和58年には木本の祖母の母が亡くなった際、

通夜の後に親戚一同が揃って直会の席に着いた事を覚えています。

親戚の女性陣が10名くらいは台所に入って料理の準備、座敷に御膳を並べて男性陣が席に付き、

女性や子供たちは座卓とかに集まっていたと思います。

これはその時の献立表です。

 

 

仕出し屋さんに頼んだりせず、全て自宅で用意されていました。今となっては考えられない事でしょう。

私の家は昭和62年(曾祖母)、63年(曾祖父)、平成元年(祖父)と立て続けに葬儀を出しました。

その時に、「この献立を参考にしてね。」と母が頂いたのですが、とても助かったようです。

この頃まで、親戚の人が沢山お手伝いに来て下さっていたのを覚えていますが、

その後の親戚での葬儀などは、葬儀ホールを利用する方へ変わっていってしまったので、

台所の手伝いをするとか、手作りの料理で直会をする、という事が無くなりました。

ひいおばあさんの通夜に参列した事は覚えていないけども、

親戚のおばちゃん達が慌ただしく準備していた事、大勢の親戚と一緒に食事をしたことは

30年経っても今でも懐かしい思い出で、とても大切な事であったと思います。

 

(余談。記憶が少し曖昧ですが、62年、63年に葬儀があった後、

初七日か二七日が過ぎるまで、自宅での食事は精進料理だったと記憶。

当時12~13歳だったので、とても辛く、一人でこっそりハンバーガー

を食べに行った思い出があります。祖父は一人、四十九日が終わるまで

肉、魚、卵を食べなかったと思います。そんな祖父を特異な目で見ていいました。)

 

第4回へ続く